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Channel: とたけけの石川屋酩酊記(H21年12月終了)
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石川屋に通った日々を振り返る④~あんなひと、こんなメニュー

当時の石川屋は、フロアが石川さん、それから当時練習生だったM下くん。 (今、彼は総合格闘技の選手でDEEPというイベントを主戦場にしています。) 今は沖縄・石垣島で「なつや」というゲストハウス兼居酒屋を経営しながら、カイトボードの写真を撮ったりしている、写真家の遠藤さんのご夫婦や、やすぴん(ヤスオカくんじゃないよ)と呼ばれていたヤスハラさんとか、いろんなスタッフがいた。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑤~越谷店伝説のバイト

その内に、僕は石川雄規と親しくなり、彼がバトラーツの活動を再開するRE-Birthの大会を観にいき、以後バトラーツの大会に足を運ぶようになるわけだが。 当時のバトラーツは、所属レスラーが石川雄規と臼田勝美の2人、練習生だった佐藤学くんが「原学」としてデビューすることになっていた。同じく練習生の吉川祐太くんは、まだデビューが決まってなかった。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑥~越谷店で出会った人たち

石川屋は、当時ファンとバトラーツのコミュニケーション・スペースの位置づけがあった。 同時に地元の隠れ家的な飲み屋でもあった。 そのためか当時石川屋が駅前のいい場所にありながら、 ほとんど宣伝チラシをまく事はなかった。 現在でも、越谷駅前でチェーン店の居酒屋が必死に?チラシやビラを撒いている事を考えれば、 当時の石川屋の営業活動は、「商売っ気がない」ものだったとしか言えない。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑦~八木崎店

東武野田線「八木崎」駅から徒歩10分以内、 春日部高校の近くに石川屋八木崎店ができた。 こちらはまた、越谷店とはコンセプトが違った。 越谷店がワインと串焼きの店として、カフェバーに近いスタイルで営業していたのに対し、 八木崎店はもろに居酒屋そのものの営業スタイルだった。 カウンターにところ狭しと並べられた焼酎の瓶瓶瓶…。 当初はカウンターで飲めたこの店だったが、そのうち焼酎瓶でカウンターが占拠され、...

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石川屋に通った日々を振り返る⑧~串揚げじゃんじゃんとタナカ店長の思い出

じゃんじゃん越谷店がジムの一部を使って作られたのはいつの頃だったろう? 当時、沖縄に足場を移しつつあったエンドウさんの発案だったとも聞くし、関西で串揚げを食べた石川さんの発案とも聞く。 要するによくわからないって事だ。 ただ、関西方面には高校の修学旅行と弟の葬式のときにしか行った事のない僕には珍しかった。 この店から立ち飲みのスタイルが始まったわけだから。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑨~じゃんじゃんの思い出おかわり

ここで、じゃんじゃんの事を少し思い出してみる。 当初、じゃんじゃんは昼夜営業だった。 夜は立ち飲みスタイルの串揚げ屋だったが、 昼はカウンターにイスを置いたカレーショップだった。 多分まかないのカレーの応用だったのではないか?と思われるが(勘ですよ、勘)、定かではありません。 メニューはカレーとカツカレーだったと思う。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑩~プロレスの打ち上げ

当時、蒲生の桂スタジオで行なわれることが多かったバトラーツの興行。 その打ち上げは、当初石川屋越谷店で行なわれることが多かった。 普段はそんなに混雑しない石川屋も、プロレスがあった晩には物凄く混雑した。 石川屋にあぶれた人たちは予約の要らない1階のじゃんじゃんに流れてきた。 そのじゃんじゃんはタナカさん1人じゃとても回らない。 サイトウさんじゃ大パニックになってしまう。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑪~大袋店始末

なぜ、大袋店ができたのか、今でもよくわからない。 でも、僕の通勤範囲内に立ち飲み屋ができたのはとても嬉しかった。 当初、立ち上げのためにじゃんじゃんを切り回していたタナカさんが店長をしていた。 ただ、人手不足だった石川屋では、タナカさんの後を継ぐ人間が現れなかった。 結局、彼はそのまま石川屋大袋店の店長みたいになった。 タナカさんが休みの時には矢野啓太選手や石川さんがカウンターに立った。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑫~新田店

くどいけど、詳しい内容は過去のブログを見てね。 僕は取り急ぎ、石川屋の思い出を語っているだけなんだから。 新田店で味わったのは納豆包み揚げ、キムチ、ゲソ揚げである。 そう、この店で初めて僕は揚げ物を食べた。 大袋店が石川さん、タナカさんでやっていた頃、 新田店はタカハシさんのお母さん、吉川選手、オチアイさん、そして安岡くんで運営していた。 後になって入門したばかりの及川選手も接客に立ったっけ。...

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石川屋に通った日々を振り返る⑬~そしてさようなら(最後の記事)

唐突だが、このブログ『とたけけの石川屋酩酊記』はもう終了になります。 12月1日から石川屋大袋店が「おっちぃ's Barアミーゴ」として営業を始めた。 店長から店主になって貫禄も出てきた(体型も変わった)オチアイさんが今までと変わらず元気にカウンターに立っている。 八木崎店はすでに「すみくら」と名前を変えてワタナベさんが切り回しているはずだ。 でも、 僕の好きだった石川屋は、もうない。 感傷はない。...

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